働き方改革をテーマにした場合、まず言われるのは、「時短」です。
「いかに労働時間を短くし、リフレッシュする時間や家族との時間を増やし、心身ともに健全な状態を維持することで、仕事へのモチベーションも高まり、生産性も上がる」。ということでしょう。
また、時短が進めば人件費の削減によって企業の収益もあがり、労働者への報酬も増やすことができる。「給与が増え、退社時間が早くなれば、アフター5の支出も増え、経済も活性化する」。ということなのでしょう。
はたしてその通りに行くかどうかは別として、生産高を増やすために労働量を増やしてしまっては元も子もありませんので、いかに短い時間で多くの生産高を上げることができるかということになります。
私たちがビジネスを行う際、さまざまなリソースを使います。
お金、人、設備、などの物的リソースと、スキル、ノウハウ、アイデア、行動力などの知的リソースがあり、一人ひとり持っているリソースは違います。
ところが、ひとつだけ全員に平等なリソースがあります。
「それが時間です」。
ほかのリソースは、お金にしても設備にしても、意図的に増やすことができますが、誰も時間を短くしたり長くしたりすることはできません。
時間とは、決まった箱だということができます。その箱の大きさはすべての人にとって平等です。しかし、その箱に入れるものは、一人ひとりまったく異なります。
そして、その入れたものによって、アウトプットが異なってくるわけです。
「仕事をする、アウトプットを出す、売り上げ・利益を上げる」、などということは、目的のためにリソースを使うことに他なりませんが、問題は、いかに短い時間のなかで多くの成果を生み出すことができるかが問題となります。つまり、時間の使い方とは、「最大成果を上げるための、一定の時間におけるリソースの使い方」ということができます。
ビジネスにおいて、時間を使うということは、突き詰めれば、「何をするか考える」か「考えたことを実行する」の二つしかありません。
そして時間を管理するということは、「何をするか考える」ことに他なりません。
しかし、この「考える」時間をとらないまま、行動している人が多すぎるのではないでしょうか。
「ルーティンワークだけを行うだけで改善を考えない人」、「やることが分からないとき、誰かに指示を仰ぐ人」は、自分自身が考えていないため、時間管理をしているとは言えません。
厳しいことを言えば、「与えられた仕事の優先順位だけをつけている人」も、時間管理をしているとは言えないでしょう。
前述したように、時間管理とは、「最大成果を上げるための、一定の時間におけるリソースの使い方」、つまり、「何をするか」を考えることです。
目の前に差し迫った仕事を片付けることだけの状態になってしまうと、やり切ることに必死になってしまい、成果のことを考えることが少なくなってしまいます。
特に「今日の計画」などの短期的な計画を立てるときはそうなります。
「何時までに報告書を書く」「何時にA社に納品する」「何時までに見積りを送る」といったように、ほとんどのタスクに時間の制限がつきます。
そして、これら緊急性で動いた場合、アウトプットの大きさや今後に与える影響を考えることはあまりありません。
あるとしても、「だから遅れることができない」というプレッシャーが増えるだけで、一刻も争うような状況のときは、とにかく「やり切る」ことが条件となります。
そういうときは、計画のスパンを長くします。タスクや行動計画を1ヶ月単位ぐらいのスパンで考えると、緊急性は少し緩和されます。もちろんルーティンの仕事をもっている人がほとんどですから、「いつこれをやって」「いつ頃までにこれを終わらせておく」などのタスクがまず頭に浮かぶでしょう。
しかし、1日の計画では考えることのできなかった、「より大きな成果」の観点から考えることができるようになります。
時間は誰にでも平等に与えられている箱です。
何を入れるか、考えるのは自分自身でしかないのです。